槻橋城跡

つきはしじょうあと

中世の米蔵があったとされる山城跡

室町時代、文明(1469~1487年)の頃、加賀国守護であった富樫政親(とがしまさちか)に仕えた槻橋兵庫守(つきはしひょうごのかみ)の山城跡です。槻橋氏は、加賀の一向一揆があった長享2年(1488)に、一揆勢に攻められ富樫政親とともに滅びました。その時の兵糧米と思われる炭化した米が城跡から出土したことから、ここに米蔵があったのではと伝承され、槻橋城の跡を「御蔵山(おくらやま)」と呼ぶようになりました。昭和29年(1954)まであった「蔵山村」は、このことに由来する村名です。今もこの辺りは蔵山地区と呼ばれています。

基本情報

住所
石川県白山市月橋町
アクセス:お車で
白山ICから国道157号線を南へ25分
その他リンク先
白山市役所HP「槻橋城跡」
その他リンク先
はくさん城跡めぐり デジタルスタンプラリー
関連資料
蔵山ぶらり史跡マップ・槻橋城縄張り図

MAP

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