白山下山仏社(尾添白山社)
はくさんげざんぶつしゃ(おぞうはくさんしゃ)加賀禅定道から下山した仏像を守り続ける
白山から下ろされた仏像9体をお祀りしているお堂です。
明治になって出された神仏分離令に基づき、それまで一緒に祀られていた神と仏、神社と寺院がはっきりと分けられ、仏教に関係する多くのものが廃されました(廃仏毀釈)。
白山に祀られていた数千ともいわれる仏像も、そのほとんどが壊されたり谷に廃棄されたりしたとのことです。
明治5年に白山と山麓18ヶ村が石川県の所管となり、住民たちがそれまでどうしても取り除けずにいた仏像を、下山させることになりました。
実際の下山作業は明治7年7月に行われ、白山三峰の頂上付近に祀られていた仏像9体は白峰の林西寺に移されました。
その際、加賀側から白山に登る加賀禅定道の檜新宮(ひのきしんぐう、ひのしんぐう)からも仏像が下山。尾添村の村人たちによって小さなお堂に安置され、長く「神様」と称して崇拝されてきました。それが今「白山下山仏社」に祀られている「白山下山仏」です。
現在は「尾添白山社 白山下山仏 半鐘含む(仏体九点半鐘一点)」として、石川県指定文化財(歴史資料)になっています。
・木造 阿弥陀如来像/建保4年(1216)
仏師・快慶の作風に通ずるものがあり、鎌倉時代の正統派仏師の作と考えられています。
蓮台裏面に「錦小路本尊也 阿念(花押)建保四年十一月 廿三日」とあり、この像が元は京都錦小路の本尊であったことが分かります。
・木造 地蔵菩薩立像/平安時代
・木造 地蔵菩薩立像
・銅造 観音菩薩坐像(安正観音)
頭部と躯部は別物で、頭部は鎌倉時代の十一面観音像の頭部菩薩面であり、江戸時代に鋳造した躯部とつないであります。
厨子に銘があり、この像が「安正観音」と呼ばれていることや、異国の渡来仏として信仰されていたことなどが記されています。
・木造 十一面観音坐像/寛永13年(1636)
・銅造 地蔵菩薩立像/元禄13年(1700)
高宮忠一の作。
・銅打出 不動明王立像/元禄15年(1702)
剣身は別の板金を差し込んであります。
像の右に「元禄十五年壬午歳六月吉日」、左下に「大久保長右衛門」の銘文があります。
・銅打出 金剛童子像/鎌倉時代
銅板を打ち出した像を、漆塗りの板に釘止めしてあります。
通例の金剛童子の姿とは異なり、右手に宝棒を持ち、左手を高く上げていて、金剛杵は持っていません。
・木造 地蔵菩薩立像(五躯)
五躯はいずれも一木から彫り出した10㎝程度の像で、底部に小さな穴が空いています。
行人が携帯して白山に登り、台に釘などでで像を立てて礼拝したものと考えられています。
・銅鑼/宝永3年(1706)
檜新宮にあった鐘の音が、一里(約4㎞)離れた現在の一里野地区まで届いたそうです。
それで「一里野」という地名が付いたと言われます。
尾添宝代坊が勧進奉納したものです。
基本情報
- 住所
- 石川県白山市尾添
- 電話番号
- 076-256-7444
- 電話番号備考
- 一里野の宿 牛王印(ごおいん)