出城跡
でじろあと上杉謙信が陣を敷いた地
天正5年(1577)9月、上杉謙信の侵攻から能登七尾城を救援すべく、織田信長の重臣・柴田勝家が加賀に進軍。増水する手取川をようやく渡り終えたところに、七尾城落城の報せが届き、柴田軍はあわてて退却します。しかしその退却の途中で上杉軍に追撃され、柴田軍は多数の死傷者を出しました。その多くが、当時「あばれ川」と呼ばれた手取川での溺死だったそうです。これが「手取川の戦い」で、上杉謙信の生涯最後の戦いとなります。
この、織田軍vs上杉軍の直接対決の数日前、七尾城を落とした上杉軍が、一向一揆の拠点であった松任城を攻撃しようと陣を敷いた所が、松任城の出城(成丸)です。当時の松任城主であった鏑木氏は上杉軍と和睦。上杉軍は出城を拠点として、「手取川の戦い」に臨んだようです。
その後、この地は「出城村」となり、現在は白山市出城地区としてコミュニティを形成し、歴史を今に伝えています。
出城があったとされる場所の一角に、出城城址公園(白山市成町第4号公園)が整備されています。
基本情報
- 住所
- 石川県白山市成町570
- アクセス:お車で
- 白山ICから10分
- その他リンク先
- はくさん城跡めぐり デジタルスタンプラリー